これは楽しい遊びだ|(随時更新中)ロードバイク×歴史散策|近藤勇|新選組|燃えよ剣|近藤勇白書(随時更新中)ロードバイク×歴史散策|近藤勇|新選組|燃えよ剣|近藤勇白書
ロードバイク×歴史散策|新選組局長 近藤勇編
東京都調布在住の筆者である大道。地元のことを知りたいと、ある本を読み衝動的に思い始める。地元の事を知って、娘たちに伝えたい。私は今そんな燃えるような想いを形にする為にロードバイクで調布に関わる歴史を散策している。
今回の歴史散策は、近藤勇だ。近藤勇は、江戸から明治に掛けての明治維新という激動の時代を駆け抜けた男である。新選組の局長で、京都で討幕を目論む浪士たちを取り締まっていた人だ。近藤勇に関わる本を二冊読んでいる(二冊しか…)。一冊目は燃えよ剣、二冊目は近藤勇白書だ。どちらの本でも近藤勇の性格を、少し判断力が乏しいが憎めない実直な人として描いている。また、当時は、普通だったのかもしれないが、どちらの本にも京都の祇園で遊楽する近藤のことが描かれていた。
今回の散策では、西調布で近藤勇の座像、近藤勇の生家、近藤勇の胴体が眠る墓所を巡った。次回は、近藤勇の終焉の地などを巡ってみたいと思う。
スタート
一箇所目|長谷山聖天院 西光寺
ここには、近藤勇の威光を放つ座像がある。
基本情報
調布駅から旧甲州街道を行くことロードバイクで15分くらいの所にある。歩道に、近藤勇の座像という標識的なものがある。
西光寺の対面には、上石原交番がある。
行き方(準備中)
(準備中)
西光寺|近藤勇の座像
慶応3年の3月、近藤勇は、甲陽鎮撫隊を編成し、甲州街道を交付に向けて出陣、その際に、故郷である上石原にて、戦勝を祈願する為に、西光寺境内で休憩したとされる。
二箇所目|近藤勇 生家跡
近藤勇が産まれた屋敷跡に向かう。途中、武蔵野の森公園を通過。武蔵野の森公園は東京オリンピックのスタート地点だ。
近藤勇が現代に生きていたらロードバイクのスピードの速さ、車体の軽さ、そして、サイクルジャージの異様さに驚くことだろう。
行き方(準備中)
基本情報
東京オリンピックのロードバイク競技のスタート地点である武蔵野の森公園を抜けたところに、近藤勇の生家跡はある。1834年にこの地に生誕した。
宮川久次郎の三男で、勝五郎と命名される。宮川家は裕福な農民だったと説明書きにはあった。1848年、天然理心流近藤周助の「試衛場」に入門。1849年、15歳の時に近藤周助の養子となる。1863年、29歳の時に、将軍家茂警固のための浪士組に参加、京都へ。その年に、新選組発足。1864年、有名な池田屋事件(ウィキペディア参照)。1868年、鳥羽伏見の戦い。敗れ、江戸へ戻る。1868年、3月、甲陽鎮撫隊として勝沼へ出陣。その際、スタート地点となる「西光寺」を訪問。
近藤勇 産湯の井戸なるものが、近藤勇生家跡の真横にある。近藤勇が産まれて初めて入ったお風呂のお湯はこの井戸から汲んだようだ。産湯と書いて「うぶゆ」と読む。
トイレ情報
旅にトイレはつきもの。尿意にかられながら史跡を見ても、入るものも入らない。やはり、出すものは出さなければ全集中とはいかないのである。
近藤勇の生家跡近辺のトイレは、武蔵野の森公園内と野川公園内のトイレを利用すると便利。
武蔵野の森公園
武蔵野の森公園は、近藤勇の生家跡の南側に位置する。緑が豊かで、調布飛行場や味の素スタジアムが見渡せる公園だ。
公園内には複数のトイレがある。近藤勇の生家跡へは、この公園を抜けて向かった。途中に、公園内のトイレがある。
このトイレに行く(準備中)
野川公園
野川公園は、調布市、小金井市、三鷹市にまたがる大型公園である。近藤勇の生家跡の目と鼻の先にある。
門に入って、100mくらい行くと野川公園管理所が現れる。
中にはトイレがある。
このトイレに行く(準備中)
門付近にもう一つトイレを発見。こちらも利用されたし。
このトイレに行く(準備中)
以降準備中~随時更新~