意識と無意識について|何かを好きって思えるのは才能なのかもしれない
こんにちは。
GENTZ開発販売担当の大道です。
感覚って大切だなと最近とても思います。
感覚でできることが多ければ多いほど人生楽なのかなと思うからです。
感覚ってのはセンスともいいますが、私は服のセンスが無いです。
しかし、そのセンスがある人もいる。
意識せずとも自分に合う服を選定することが出来てしまします。
実は意識してるのかもしれませんが。。
しかしながら端から見たらセンスあるなこの人、いいなぁと思うものです。
コミュニケーションも感覚が大切なのかもしれません。
昨今の森前首相の発言も、
社会に対する感覚がずれてしまい、国内外から多くのバッシングを受けてしまっている。
相手がどう思うか。ということに対して無意識でいた結果が今回のバッシングに繋がったとしか思えません。
相手がどう思うかを意識していればこんなことにはなりませんでした。
とはいえ、
常に意識を高めてどうすれば最適な行動なのかを考えていたら、
めちゃめちゃ疲れます。。
私は感覚的に生きることに重きを置きすぎたのか、
意識高い系の人々に対して無意識に苦手と思ってしまいます。
意識高い系の人々を意識的に、様々な側面からとらえるようにしたら苦手のレベルは多少は下がるかもしれません。
でも、
相手を好きになる為に相手の側面に対して意識してみていくこととはとても疲れます。
面倒くさい。
何が好きになった理由で何が嫌いになった理由なのかを考えることは意識のなす業です。
しかし好きだな。嫌いだなと思う最初の切っ掛けは感覚です。
私には妻がいます。
好きになった理由なんて考えたら野暮です。なんとなく好きだから結婚したんです。
なんとなく好きになったからこそ相手を許せるのかもしれません。
たぶん色々な要素が集合して好きになったんだと思います。
だからこそ一つの要素で何かが起きても他の要素が補完してくれるのだと思います。
逆に好きになった理由なんて今更考えても遅いかもしれません。。。後に引けないw
ときに人は意識的に思考停止するのも大切なことですねw
ロードバイクが好きになった理由も実際のところよくわかりません。
好きな理由を意識的に作ることは逆に疲れます。
長距離走ることが好きだとしたら、なんで長距離を走ることが好きなんだろうと考えます。
達成感を得られるから、
達成感を得られるとなぜ嬉しいのか、、、
永遠に考え続けると最後はすごい小さな理由かもしれないし、とてつもなく抽象的なことかもしれません。
そんなことをイチイチ考えてるよりも、
ロードバイクっていいなぁと思ってどこかに行った方がいいなと思ってしまいます。
イチイチ考えずに行動に移せるのは才能だと思います。
イチイチ考えるとは、自分の頭の中にある記憶や頭の外にある情報を確認することだと思います。
感覚的にできる人はそんなことをせずに行動を起こすことが出来ます。
自分自身が人生の中で、
特に意識してないんだけど他の人より結果が出てしまっていることを考えることは大切かもしれません。
それがその人の才能だと思います。
自分にも才能があると思います。
それは何か。自分の子供が好きということです。
自分の子供に対しては、何も考えることなくとりあえず好きで仕方ないのです。
反射的に好き。と言えるでしょう。
この反射的に好きを意識的に分解し、合理的に好きになりうるような説明が出来たとしたら、
他の誰かでも私と同じレベルで私の子供が好きなる再現性が出来てしまいます。
それは困る。。。だからなんで好きなんだろうなんて考えっちゃ人生つまらないかもしれません。
好きっていう感覚は世界中の子を持つ親のほぼすべてが持つ感覚なのかもしれません。
虐待などがあるのですべての親ではないですが。。。
好きがあるからこそ人生に彩りが出来ます。
好きと思う気持ちはとてつもなく自然に湧き出てきて理由なんて関係ないし見返りも求めません。
好きは、とてつもなく負のストレスのかからない心境に自分を持って行ってくれます。
今後自分の人生において好きなものが増えることを祈って今後も一歩ずつ前に歩を進めていきたいものです。
以上
好きなことから製品を開発することになりました。でも、仕事になると色々なことに意識がいって好きを保てるか心配な昨今。
俺のロードバイクへの好きさ加減はそんなものだったのかなと想うこともありますが、あんまり考え込まずに日々を楽しくしようと意識しております。考えすぎても仕方ないことってのは世の中に1つや3つあるもんですね。