かっこいい自転車通勤をしよう
どうもGENTZ開発・販売担当の大道です。毎朝、握りこぶしを握り、足の指を踏ん張り、眉間にしわを寄せてます。ヨーグルト食べてるんで毎朝快便です。快便の秘訣はバランスの良い食事。ストレスをためないことにつきますね。
朝の出来事
さてさて、本日の記事は、カッコいい自転車通勤を考えてみました。
私は、日によって250㏄のバイクまたは、自転車で会社に通っている。
以前、バイクで会社に向かった時のこと。
道路を疾走するロードバイクを発見。ロードバイクにはついつい目が行ってしまう。
年の頃、45歳。独身(これは想像)。頭は若干後退している。ノンヘル。
速い速い速すぎる…
ケイデンスがすごい。ついつい見とれてしまった。私もああなってみたいものだ。
とは言え、こちらはバイクである。50km/h程度で走行しているからすぐに追い越した。
追い越した先で赤信号に。
例の45歳・独身男性が私のバイクのミラーの中でシャカリキにロードバイクを踏んで踏んで踏みまくるのが見えた。
次第に、私のバイクに近づき、直ぐに私を抜き去った。
そのあとがまずかった。
彼は、そのまま赤信号を通過。
なんて勿体無いんだ。全然かっこよくない。
あんなに素晴らしいケイデンス。そして身体能力。私の憧れの眼差しをどうしてくれるんだ・・・
ロードバイクのイメージを悪くしてはいけない
恐らく、周りの車の人々や、信号待ちをしていた人々は、「ロードバイクは信号無視を平気でする。」
とロードバイク乗り、もっと言えば自転車通勤者を一括りにして、ルールを守れない人々として見ていたと思う。
人は他の動物と違い、「同じ(一括りする)にする能力」を持っている。と、養老孟子の本で読んだことがある。
例えば、音痴な歌を聞いても、上手な歌を聞いても、同じ曲だなと判断できるのは、まさにこの能力である。
他にも、国籍もそうだし、人種もそう。会社もそうかもしれない。
そう、人は何でも一括りにしたがる性質がある。
このロードバイクで信号無視をしていた人も同じような現象を起こしてしまう。
一人の行いが、全員の行いに置き換えられてしまう可能性があるのだ。
どうすれば同じにされないか。
信号無視をする猛者の行為をどうしたら防げるか考えた。
ひたすら誰かが注意するとかそういうのはどうだろうか。
いや、愚策だ。注意する側にもされる側にもストレスが掛かってしまう。
こういうのはどうだろうか。
このバッチを付けることで、周りの人間にお腹に赤ん坊がいることを知らせるのだ。
つまり、自分自身はこういう人間である。と周りにディスプレイするのだ。
さてさて、自転車の場合は、どうするか。
私は交通ルールを守ります的なバッチを周りの人から見えるように取り付ければいいと思う。
差別化することで
ルールを意識的に守っている人間がいることを、世の中に提示することで、
周りのドライバーさんや歩行者の人々に、バッチが付いているロードバイクは安全であることを伝えることが出来る。
また、信号無視をする自転車乗りがこのバッチを見ることで、
信号無視をしている人間が、信号無視をしていることに対してばつが悪くなる心理になるのではないだろうか。
少なくとも、
守っている人と守っていない人という括りが社会の中に作られることは大きなことだと思う。
守っている人、守っていない人の括りさえ作ることが出来れば、
社会が両者を比較するようになる。
もちろん守っていない人は糾弾されてしまう。
レッテルを貼られることを人は嫌うからきっと守らない人がマイノリティになってくると思う。
そういった社会から評価される構造が出来上がれば、
きっと信号無視などの交通ルールを守らない自転車乗りは減っていくと思う。
更に言えば、
ロードバイク乗りがどんどん増えてくると思う。
それは、子を持つ親の自転車をスポーツにすることへの認識が良くなるからである。
仮に、子供がロードバイクをやりたい。と言ったら、ロードバイクなんぞに興味のない親御さんからしたら、
ロードバイク=危ない人たちの意識が働く為、ポジティブなイメージがわかないだろう。
しかし、日本の自転車乗り達の印象が良くなれば、子供からロードバイク乗りたいといわれた際の親の反応も変わってくると思う。
自転車乗りが交通ルールを守るという意識が高くなればなるほど、
ロードバイク乗りは増え、日本のロードバイクの周辺環境もおのずとよくなると思っている。
そもそも論だが、ルールを守る人間で能力の高い人はずるく無くてカッコいい。
カッコいいからルールを守る。それだけでいいのかもしれない。
以上、
最後まで読んでいただき有難うございました。
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